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2009年11月13日 (金)

ユートピア

明和電機はもともと、うちの父親が作った会社である。
つまり社長であったわけだが、社長というにはあまりにも自由すぎる人であった。

ドリームは持ってる人ではあった。
障害者を従業員として雇うなど、なんともならん社会の弱点に対し、
ユートピアを描いて向かっていく部分があった。

もともとエンジニアなので、美しい図面を描く人であった。
障害者向けの作業器具などの工夫もしていたようであった。

しかし、いかんせん、経営の素質がなかった。
ドリームを現実に落とし込み、お金を回していく辛抱がたらん人だった。

山にはよくつれていってもらった。
白樺の枝で、刀を作ってくれたのを覚えている。
「明和電機会社案内」の中で、

「わしが息子に教えたのは、野グソのしかたぐらいだ」

と言っている。

父が作った明和電機が倒産したのは、僕が小学校の6年生のときだ。
それから父とは別居。おとどしに亡くなるまで、僕は10回もあってない。
会社をつぶし、母に迷惑をかけ、恨んでいた時期もあったと思う。
忘れてしまったが。

ただ、今思えば、そのダメダメな父が持っていたユートピアには、
強烈の惹かれていたのだ。
だから、今、父親と同じ制服を着て、明和電機をやっているのだと思う。

父親は、僕に、「0000になれ。」と、言ったことはない。
母親も同じだ。
生きること、食ってことでせいいっぱいだからそんなことをいう暇など
なかった。

晩年の父は、閉鎖系モデルの実験農場の開発をやっていた。
「信道、継がんか、この研究」
と電話で言われ、茶封筒にその実験棟の図面が送られてきたが、
明和電機と芸術に本業を決めた僕には、背負う余裕はなかったので断った。

それはしかたない。
男として父は父の研究に没頭したのだ。
僕には僕の研究がある。男として。
父もわかっているだろう。

親は、自分の道を、たとえジジイになっても突き進むべきだ。
子供の未来に自分の夢をたくす暇があったら、
死ぬ瞬間まで、自分の夢にエゴイスティックに時間をかけろと思う。


医者になれと育てた子供が、人を危め、自分の顔を手術してまで、逃亡した。
子供はそれではじめて仕送りではなく、自分の稼ぎでメシを食って、
生きている実感を得た。


なんなんだ。それは。
親も、子供も、暇すぎる。

膨れ上がったユートピアを、棺おけまで持ち込むぐらい、
余裕のない人生を自分は送りたいぞ。












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コメント

なんつーか、かっこいいな。

先日のトークイベントでの女の子の「父親の世代にエールを」の答えだと感じました。少し緊張しながら読みました。

そして、トークの時に表現者として表に立つ人としての強さを感じました。

あの・・わたしは医者です。真面目に働く親のすねをかじって私立の医大に入り、ものすごく高い学費を払わせているのにさぼったりしていて、相当なダラダラ学生でした。突っ走るように働き続けてきて、ふとした行き違いで患者を泣かせたり、訴訟寸前まで行って泣きそうになったり、高〜い授業料を払い続けてますけど、医療従事者である両親の背中を見て、同じような生き方を選んで良かったと、遺伝子の力って凄いんだなあと、明和さんの文章に思いました。

ステキな記事です 拍手!!!

私も自営の子なので
社長の言葉でビビビッと何か走りました

>子供の未来に自分の夢をたくす暇があったら、
>死ぬ瞬間まで、自分の夢にエゴイスティックに時間をかけろと思う。

そんなカッコイイ台詞を言い切れる人生を歩みたいです。

わたしの親は医者です。父(物故者)も母も。祖父も医者でした。

なので、この事件も昨年の笹塚の事件も、「ああ、医者の息子・・・」と思ってました。

しかしながらわたしの父母・祖父母ともに、世間が「お医者さんになるの?」プレッシャーを無邪気にかけても、彼らは全くそのようなことは言いませんでしたし、そんな素振りもみせませんでした。

そして、わたしは「医者になれなかった」んじゃなくて「ならなかった」人生を歩んでます。

あまりにもいい文章なので、小生のブログで紹介させていただきました。リンクも貼ったので、「ぜひこの機会にオタマトーンもお見知りおきを」と書いておきました。そして、わたし自身はサンタさんにオタマトーンがほしいとお手紙を書こうと思ってます。

Thank you for a good message!

「膨れ上がったユートピアを、棺おけまで持ち込むぐらい・・・」

手塚治虫さんを思い出しました。

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