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2009年10月 6日 (火)

技術と芸術とツイッター


芸術家には二種類いる。

自分の表現に疑問を持たない者と、

自分の表現に疑問を持つ者、

である。

前者はピカソタイプ。
後者はデュシャンタイプ。
である。

疑問を持つタイプは、ときに自分の表現のメカニズムについて考える。

マシンエイジ以前は、そういうタイプがいたとしても、それを言語化、図式化するための数学、映像ツール、設計方が発達していなかったので、

圧倒的に絵画を描くのがうまい、という、一種のフリークス的才野に、飲み込まれてしまった。

しかしマシンエイジ以後の写真からCGにつながる、人間の表現の盗賊的テクノロジーは、見事にフリークスたちのお株を奪い、機械で表現できない表現、という、泥臭い世界に芸術家を追いやった。

この状況、表現に疑問をもつタイプの芸術家には好都合。

なんとなれば、キュビズムのように、まったく絵なんて描けない絵描きに、ウンチクという絵の具を与えたし、

ときには疑問を検証する、実験機器を与えたからである。

そんな時代になって、もう長い。

表現者はいまだに新しいテクノロジーが、自分をどこへ追放するのかビクビクし、

あわよくば、大逆転のための起爆剤にしてやろうと、たくらんでいる。


そんなことをいっさい考えない、まだバルビゾンをやってるクラシックな芸術家もいるが、つまんないので無視。

作戦を立てすぎると、明和電機のようにおかしなポイントまで来てしまうが、これは性分。

結論。

芸術家が自身の表現を厳密に考えるほど、テクノロジーを無視できなくなる。
以上、
なぜに土佐信道は、最近、ツイッターをやっているのか、についての長々しい言い訳でした。


(ケータイからべた打ち。文字校正なし。)

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